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悲しみたいのだろうか

学生の頃、答えがわからない問題に限って先生に当てられた記憶がある。

遠足や運動会の日はいつも雨が降っていた。

社会人になってからも、大事な会議がある日に限って寝坊した。

大体そんな日は電車も遅延している。

(遠足や運動会といった野外の学校行事に限っては雨の日に開催しているのではないかと疑っている。)


昔からこういった、"ついていないなぁ。と思うことばかり覚えている。

ついていないなぁと感じる度、思い出しているからだろうか。


そもそも"なぜ覚えるのか","なぜ忘れるのか"


人間の機能としての話だ。

なぜ覚える必要があるのか?なぜ忘れる必要があるのか?

どちらも必要がないことならば、言葉にすら成っていないだろう。


掘り下げていけば、覚えることも忘れることも生きるための機能だといえる。

しかし一般的に覚える機能はプラスのイメージで、忘れる機能に関してはそもそも実行されないようにと考える。基本的にはマイナスのイメージがある。

だがInstallerがあればUninstallerがあるように、覚えられるなら忘れられる。

そんな仕組みが必要だろう。一概にマイナスとはいえない。


覚える機能は、覚えたものを上手く活用することで、将来役に立つだろう。

忘れる機能は、断捨離になる。人間の少ない記憶容量でやりくりしてくれている。

記憶を篩にかけて要らないものや悪いものを選別し削除するのだ。

大げさに言えば、忘れてしまうことなんてどうでもいいことだと思ったほうがよい。


もし、覚える機能の用途が"未来で活用する"ことならば、後ろを向きながら前に歩くことになる。覚える機能は本来、時間経過と共に失われてしまうものに対して機能する。

覚えているものとはすべて過去のものだ。未来に役立つが過去だ。


「過去に囚われるな」「前を向け」と仰る方は、一度その前向きな姿勢を後ろ向きに捉えた方ががいいのではないだろうか。

また、過去に囚われて困っている方は気にせず、十分に過去を堪能していただきたい。



前向きに考えてみると

将来、運動会が雨の日に開催されても悲しまないように

悲しい思い出を覚えてくれている私の機能は正常なのだろう。



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